マハンの「海上権力史論」を読み終えて、以前読んだ「暁の宇品」と「現代の戦略」の事を思い出した。
マハンが言うシーパワーは僕が読んだ範囲での解釈では「海運による通商やそれに付随して増大した海軍力による制海能力などの総称」という感じで、よく簡単な説明で言及される海上における影響力(主に軍事的な側面が強調される印象がある)としてのシーパワーとは微妙に意味が異なるものだった。
やっぱり原点にあたることで気付くことや意味が希薄化されていたことなどに気付けるので、ちゃんと読むことは大事だな。
文中では、シーパワー自体が国家の趨勢に以下に影響してきたかをいくつもの例を挙げつつ検証しており、非常に内容も充実していた。
マハンが例に挙げているのは主に帆船時代の海戦ではあるけど、基本的な概念や戦略に関しては現代に通じるものが多かった。
特に私掠戦による通商破壊作戦についての言及や海洋覇権国としての作戦行動の在り方などは現代においても通用する考え方で面白かった。
また通商のための護衛についての言及もあり、「護衛をつけるか、または護衛が必要ないほど該当エリアの制海能力を持つか」と触れていたのも印象的だった。
というのも「暁の宇品」という広島の宇品を舞台にした旧日本軍の船舶輸送の本があり、その本の中で「兵員輸送船などに護衛を付けない」や「制海能力が不足しているがために輸送船が攻撃の憂き目にあう」などの内容が書かれていたため。
実際には日本は制海能力はあまりなく(というか艦隊決戦に舵を切っていたので)護衛や制海といった部分には海軍力を割いていなかったので、マハンが言う原則には反していたのだろうなと思う。
あと、これからマハンの「海上権力史論」を読む人は内容に関して少し注意すると良いかもしれないと思った
というのが現代に通じる内容も多くあるが、そのまま転用できないものもあるため。
というかマハン本人も「あくまで過去の海戦などを検証する際には、これをそのまま転用できるとは考えないこと」「戦術レベルでのことは時代により変化するため、そのことも考慮に入れること」「戦略レベルにおいては過去から現代まで通じるものはあるため、そこをおさえること」というような主張をしている。
この辺りの主張は最近読んだコリン・S・グレイの「現代の戦略」でも似たようなことが触れられており(あちらはクラウゼヴィッツの「戦争論」がベースだけど)、似たような考えというのは時代を超えるのかもしれないなと思った。
またマハンは「個々の事例をそのまま比較し論じるのではなく当時の情勢なども考慮に入れた上での検討が必要だと」という主張をしており、このことは意外と忘れやすいので意識しておくべきだと思う。